【書評】天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々

 

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著名人、芸術家、クリエイターのライフスタイル、働き方には、以前から大変興味がありました。良い作品を生み出すための秘訣やベストな環境はあるのか?働き方はどうか?息抜きを効果的にはさめばよいのか、それともぶっ通しで集中するのがよいのか。朝型がよいのか、夜型がよいのか。多くの働く人が共通して抱くものだと思われる。

どんなふうに予定を立てれば、最高の仕事ができるのだろう。迫りつつある締め切りを前に、仕事に身が入らなくてこまった著者は、他の人の仕事ぶりを調べてみることにした。そうして書きはじめたブログが本書のもとになった。

本書では、クリエイティブな仕事で偉大な成果を残した天才たちが、毎日どのように働き、どんなことを習慣にしていたのかにスポットを当てる。その数、なんと161人。ピカソベートーヴェンヘミングウェイフロイトなどなど、なじみ深い芸術家や研究者の名前が並ぶ。

著者は、本書を通してそうした問いに答えるつもりはない、としながらも、「すばらしい成功を収めた多くの人々が同じ問題に直面したことを、実例として紹介するように努めた」という。さまざまなタイプはあれど、どの天才もその人なりに仕事に立ち向かってきたのだな、ということが意外な親しみをもって感じられる。日々どんなふうに働くか、その答えは各々模索する必要があるとしても、「さて、今日もがんばるか」という気持ちにさせられる1冊である。

 

要点

  1.  天才たちの仕事の背景にあるライフスタイルには、数かぎりないバリエーションがある。不摂生をして仕事にのめりこんだり、独特の習慣でメリハリをつけたり、規則正しくすることで仕事がはかどる効果を狙っていたりする。
  2. とてもまねできないくらい勤勉にパワフルに仕事をした人も、インスピレーションがわくまで苦しみぬいて時間を浪費した人もいるが、多くの人は天才といえどもその中間で努力していたようだ。

 

フィンセント・ファン・ゴッホ【画家】

オランダ出身の画家、ゴッホ。彼はとりつかれたように仕事をするタイプだった。創造的なインスピレーションに突き動かされて休むことなく絵を描き、ときには食事も忘れてしまうほどだったという。生涯にわたってゴッホを支えた兄テオへの手紙の中で、ゴッホは、午前七時から午後六時まで仕事をして、その間、動いたのは一歩か二歩の距離に置いてある食べ物を取るためだけだったと記している。また、手紙にはこうも書いてあったという。「毎日は、仕事、仕事で過ぎていく。夜にはへとへとになってカフェへ行き、そのあとはさっさと寝る! 人生はそんなものだ」

 

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オノレ・ド・バルザック【作家】

バルザックは自分を追い込むように、過酷なスケジュールで仕事をした。午後六時に軽い夕食をとって眠り、午前一時に起きて机につく。そこから七時間ひたすら書きまくる。午前八時になると、一時間半の仮眠をとり、さらに九時半から午後四時まで仕事。午後四時からは、散歩、風呂、客対応。そして午後六時からはもう一度同じことの繰り返しだ。仕事の間、バルザックはブラックコーヒーを飲みまくる。一日に五十杯のコーヒーを飲んだともいわれているそうだ。

 

ジャン・ポール・サルトル【哲学者】

サルトルは、仕事は、「午前中に三時間、夕方に三時間、それが私の唯一の決まりだ」というふうに言っていたが、怠けていたわけではない。仕事のほかには活発な社交をこなし、豪華な食事と大量の酒、タバコとドラッグを摂取した。

標準的な一日の過ごし方は、アパートで正午まで働き、会合に一時間ほど出かけた後、パートナーのシモーヌ・ド・ボーヴォワールと、共通の知人とともにランチ。ランチで赤ワイン一本を飲みほしたという。午後はボーヴォワールと仕事をする。寝つきが悪かったサルトルは、睡眠薬を飲んで二、三時間眠った。

過労と睡眠不足、ワインとタバコの過剰摂取でぼろぼろのサルトルは、そのうえ、仕事のペースを維持するために当時まだ合法だったコリドランというドラッグに頼った。朝と正午に一、二錠ずつという規定の服用量を大幅に超えて、サルトルは一日二十錠も飲んだ。一錠ごとに、『弁証法的理性批判』を一ページか二ページ書けたのだという。それほどまでに、自らの哲学体系をかたちにしたかったのだ。

 

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イマニュエル・カント【哲学者】

めちゃくちゃなやり方で仕事の成果を追い求める者もいれば、その逆もまたいる。カントの人生、特に40歳を過ぎてからの人生は、規則正しさそのものだった。カントは骨格に先天的な欠陥があって虚弱だったため、長生きできるように、また健康のことを気に病みすぎないように、生活にある種の画一性を必要としたのだ。

朝は午前五時に起き、執筆をして、大学で午前十一時まで講義をする。昼食を食べた後は、散歩に出かける。ハインリヒ・ハイネによると、「近所の人々は、カントが灰色のコートを着てスペイン製ステッキをもって玄関から出てくると、ちょうど三時半だとわかった」というくらい、すべての行動の時間はきっちりと決まっていた。生まれ故郷の町からめったに外へ出ず、生涯独身を貫き、地元の大学で同じ教科を四十年以上教えたという。

 

村上春樹【作家】

長編小説を書いているときの村上は、日課を規則正しくこなす。そのことが創作の役に立っているのだという。午前四時に起きて五、六時間仕事をし、午後はランニングか水泳、もしくは両方をする。雑用をこなし、本を読み音楽を聴き、午後九時に寝る。

そしてこの日課を毎日繰り返す。繰り返すことで、「一種の催眠状態というか、自分に催眠術をかけて、より深い精神状態にもっていく」と『パリス・レビュー』で語っている。デビューまではタバコを一日六十本も吸い、不摂生をしていた村上だが、生活習慣を変えるため一念発起し、妻とともに田舎へ引っ越し、健康的な食事をすることにした。毎日のランニングは二十五年以上続いているという。この習慣の欠点は、人づきあいが悪くなることだ。しかし、村上は人生において大事な関係は読者との関係だと考えている。作品を良くすることが、「作家としての僕の義務であり、もっとも優先すべき課題だろう」と村上は語る。

 

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チャールズ・シュルツ【漫画家】

アメリカの漫画家シュルツは、人気キャラクター、スヌーピーの登場する『ピーナッツ』の連載で知られている。彼は、五十年近くのあいだ、一万七八九七話におよぶ新聞連載をアシスタントなしで書きあげた。これを実現させるため、シュルツもやはり規則正しく働いた。

一日七時間、週に五日間が、『ピーナッツ』のために捧げられた時間だった。平日は早起きし、子どもたちに朝食を食べさせ、学校まで送っていく。その後自宅横のアトリエで仕事にとりかかる。昼食はたいていハムサンドとコップ一杯の牛乳で済ませ、子どもたちの帰ってくる四時ごろまで創作を続けた。こうした仕事のスタイルはシュルツの性分に合っており、生涯抱えていた不安症もやわらげられた。

 

セーレン・キルケゴール【哲学者】

散歩は思考にリズムを与えるのか、散歩を日課にしていた天才たちの数は少なくない。デンマークの哲学者、キルケゴールの一日は、執筆と散歩で構成されていた。午前中に執筆し、午後はコペンハーゲンを長々と散歩した。散歩から戻ると、また夜まで執筆をする。散歩中にすばらしいアイデアが降りてくるらしく、帰宅して帽子も脱がずに、机の前に立ったまま書き出すこともあったという。

また、彼の独特のコーヒーの飲み方は特筆に値する。伝記作家のヨアキム・ガーフによると、まずキルケゴールはうれしそうに砂糖の袋を傾け、コーヒーカップの中に縁より高い砂糖の山をつくる。そこへとびきり濃いコーヒーを注ぎ入れ、白い山をゆっくり溶かしてから一気に飲んだそうだ。

 

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ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン【作曲家】

ベートーヴェンの朝は、コーヒーから始まった。一杯のコーヒーにつき、豆は必ず六十粒でなければならなかった。きっちり正確を期すために、豆を一粒ずつ数えることもよくあったという。

それから机で二時か三時まで仕事をし、昼食後、日中の残りの時間のほとんどを散歩に費やした。ポケットにはいつも、鉛筆を一本と、五線紙を二、三枚入れていて、曲が思い浮かぶと書きつけた。散歩は作曲に役立ったらしく、おそらくそのせいで、ベートーヴェンはあたたかい時期により多くの曲を作った。

日暮れには居酒屋へ寄ったり、友人と過ごしたりして、夜は音楽の仕事はあまりしなかった。そして、遅くとも十時にはベッドに入った。

 

エリック・サティ【作曲家】

サティはパリのモンマルトル地区に住んでいたのだが、1898年には郊外の町アルクイユに引っ越した。それなのにほとんど毎朝、パリのもとの家までの十キロ近い道のりを散歩したのだという。服装は独特で、栗色のビロード地のスーツと山高帽を毎日着ていた(同じものを一ダースずつあつらえた)。地元の人々は、彼を「ビロードの紳士」と呼ぶようになった。

パリでサティは友人の家に寄ったり、カフェで仕事をしたりした。夜はキャバレーでピアノを弾いて少々の金を稼ぐか、もしくはカフェめぐりをして酒を飲んだ。アルクイユ行きの最終列車にはしばしば乗り遅れ、その場合は家までまた十キロの道のりを歩いた。それでも、次の日の朝にはまた十キロ歩いてパリに向かった。

研究者によれば、サティの音楽の「反復の中の変化の可能性」を尊重するところなどは、「毎日同じ景色のなかを延々と歩いて往復したこと」に由来するのではという見解もある。

 

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アーネスト・ヘミングウェイ【作家】

ヘミングウェイは夜明けの時間をとても大切にしていた。前の晩に酒を飲んでいたとしても早起きで、午前五時半から六時ごろには起きた。成人してからはずっとそうだったという。『パリス・レビュー』のインタビューで、ヘミングウェイは早朝の時間について語っている。執筆中の作品の種類に関わらず、「毎朝、夜が明けたらできるだけ早く書きはじめるようにしている。だれにも邪魔されないし、最初は涼しかったり寒かったりするが、仕事に取りかかって書いているうちにあたたかくなってくる」。そして、「まだ元気が残っていて、次がどうなるかわかっているところまで書いてやめる」。正午くらいか、あるいはもっと早くに、切り上げた。

ヘミングウェイは、立って執筆した。本棚の上にタイプライターと書見台を置き、はじめは紙に鉛筆で書き、うまく書けるとタイプライターでの打ち込みに切り替えた。そして、ヘミングウェイは、書いた語数を毎日、表に記録していたそうだ。「自分をごまかさないためだ」という。「執筆という厳かな義務」、とヘミングウェイは言っていた。執筆がうまくいかないときは、気分転換に手紙の返事を書いた。

 

グレン・グールド【ピアニスト】

グールドは、バッハの演奏で知られる、カナダ人のピアニストだ。彼はエキセントリックな天才という評判を自ら助長しているふしもあったが、その素の姿は確かにエキセントリックそのものだった。健康を異常なほど気にして、ばい菌を恐れ、電話の相手がクシャミをしただけで、ぞっとして電話を切ってしまったこともあるという。また、とても非社交的で、誰かと親しくなりすぎたと思うと急に関係を絶った。

グールドは自ら、夜型生活を送っていると語っている。「日光があまり好きではないからだ。じっさい、明るい色はどんな色でも気分を落ち込ませる」という。午後遅くに起きて、いくつか電話をかけて、それで目を覚ます。その後、カナダ放送センターで雑用をこなすか、レコーディングがあればセンター内のスタジオで午前一時か二時ごろまで仕事をした。レコーディングがないときは自宅アパートで本を読んだり音楽を聴いたりするが、ピアノの練習は一日一時間か、それより少ないくらいしかしなかった。午後十一時になると友人たちにまた電話をかけ、二十四時間営業のレストランで食事をし、午前五時か六時に鎮静剤を飲んで床についた。

 

まとめ

本書ではシンプルにずらりと、天才たちの名前が並ぶ。気になった人の仕事そのものを、改めて味わってみようという気持ちにもなるかもしれない。本書は、仕事に向かう前向きな気持ちと、たくさんの楽しみを与えてくれるだろう。